[気を運ぶ 2024.10.30]
こだわり
さて、もう10月も終わりになる。この2か月間は次のことへの準備にかかりきりで、本来の課題にむけてのエクササイズもできなかった。「本来の課題」とはもったいぶった言い方だが、まあ私自身にとって <こだわり> のことだ。
身体内部の意識、気の流れ
それはダンスをてがかりとしつつ、自分の身体の中に流れる意識のエネルギーと外界のエネルギーの絡みを理解すること。私には身体の内外のエネルギーを一致させて動きの質を飛躍的に高めたいという思いがある。自在に運気を操れればという願いだ。
とても抽象的な話で恐縮だが、動きの一つ一つを単に機械的な筋肉の作用としてではなく、踊る者の動きが 何か見えないエネルギーの波に裏打ちされたものにしたいということだ。
東洋の技法
こういった領域になると、やはりインドや中国の技法が優れている。実体があるかないかもわからない、可視的ではないものは西欧的な科学の対象にはなりえないだろう。 ただ現代の量子力学の成果と見解が、ある面で仏教の説く世界と類似してきている。だから、この分野も将来すっきりとした理論が提供されるかもしれない。
自分には難しい
では実際にどんなことを練習するのかということは別の機会に書くが、何が難しいと言って一つのことを意識しつつ別のことをやる難しさだ。
具体的にはあることを想像しながらダンスの動き(特に基礎レッスン)をすることだ。
体の動きを始めると、集中すべき意識はすぐにどこかに飛んで行ってしまい、さまざまなことが脳裏を横切る。 「あっ、いけねぇ」と思いながら、また意識をもとに戻す。そんなことの繰り返しになる。当然、体の動きもちぐはぐになる。振りなども間違える。
クルマの運転などのように、体の動きが半自動的になっていれば、少しは考え事もできる。が、そこまで体の動きがこなれてない場合、意識はさまよい、動きは間違えるという支離滅裂状態になる。 やはりそれなりの手順を踏む必要があるのだろう。自分の方法はこれでよいのだろうか,,,
ダンスは最適の手段
そんな悪戦苦闘、進展なしの日々。 けれども思考、感情、もちろん肉体も同時に重層的に使うことを要求されるダンスは、なるほど最適な手段だろう。 そしてとても長い年月の間には、これかな?と思う瞬間も本当に稀であるが一、二度あった。 しかし自在にそれを使いこなすことなど到底できていない。
したがって目下の私の関心事は数ある技法のひとつひとつの意味を理解し、体感していくことになる。 気が遠くなるような作業だが進んでいこうと思う.