ダンスを踊るということは、本来反社会的なことになると思います。
古代の宗教や王権の価値を高めるための舞踊ではなく、
現代においてダンスを創作して踊るということは、その本質において
社会において受け入れられているものに疑問を投げかけるということにならざるを得ません。
その時代の大勢を占める価値観に対して異を唱えることが
舞踊創作の契機になるというようなことをドリス・ハンフリー(モダンダンスの確立者)が
彼女の著作に書いていたように記憶しています。
そもそも学校教育や企業や社会の教育によって作り上げられた価値観、
あるいはマスコミにより毎日繰り返し刷り込みされた価値観に従って生きるならば、
娯楽は必要でも芸術は必要ないでしょう。
本当の意味でダンスを踊ることは、そういうものに対しての反抗ということになるから、
時の権力者からの弾圧をうけやすいことは歴史が証明しています。
ダンスの持つ別の危険性もあります。
それは一言で言うと「ガス抜き」効果です。
体を動かす、それも集団で動かすことは
鬱屈した感情の実によいはけ口となります。
動いたあとは、理屈抜きの爽快感と集団(地域、国家にも)に対す帰属感が生まれます。
踊り終わった後には、現実社会の不満はとりあえずガス抜きされます。
実はそこに注意していかなければならない。
実際各種の政治権力が主催するイベントにはよく見られることです。
ダンサーや創作家は、自分が社会の主流を占める価値観に対する反逆者であること、そしてまた権力に利用されやすい存在であることを常に意識していなくてはなりません。
――(K)