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恐怖支配は最初だけ あとは自発的隷従 

[2023.08.25up]

今の日本のことで言えば、政治、経済、社会が私たちの生活を追い込み、生きていくことがとてつもなく困難でひどい状況になっている。これを読んでくださっている人が自身の周りを思い浮かべれば、一つ一つ例を上げずとも納得していただけるだろう。

 にもかかわらずアメリカのネオコンの使い走り役である自民党が、自分たちの好き勝手に国政を動かすことができるのはなぜだろう。少し冷静に考えれば、明日にでも権力者たちは支配を覆されるはずだが、そうならないのはなぜか。

もちろん選挙制度や政治情勢の問題もあるだろう。テレビ・新聞などのマスメディアを駆使して官民挙一体の情報の操作によって人々へのある方向への誘導によることも大きな理由だ。


支配のトリック 

しかしその最大の秘密は、最近のことで言えばコロナの騒ぎやウクライナの問題に現れている。つまり政治権力とそれと結びついたマスメディアによる情報統制社会と、それに自発的に組み込まれていく私たちの日々の意識に最大の問題があるのではないだろうか。

 歴史上には社会や人々の心までも支配する圧政者が統治するシステムがたくさんあり、また現在も存続している。その野蛮で残酷で不合理な支配に対して、支配される側の人々はいたるところで反逆をしていいはずだ。しかし多くの場合被支配者はこれに逆らわず、それどころかむしろ喜んで従い、その社会の欺瞞に満ちたシステムをさらに助長するような言動をとる。ひとたび支配体制を確立すれば、圧政者は以後その支配のために必要な時を除き、強制力を使う必要はない。歯車はうまく回っていく。このへんのトリックはどういことになっているか。


支配者にとって人々の自発的隷従はおいしい

16世紀に生きたモンテーニュの友人のラ・ボエシはその著作において、この問題を的確に分析して論じている(なんとまあ10代にこの著作をあらわしたという)。

 新型コロナの騒ぎは当初の定義を緩く変えて無理やりパンデミックと認定し、また発明者がウイルスの検査としては使ってはならないと主張していたPCR検査によって流行の疫病とされた。

 この騒動ではWHOや政府・マスメディアが強制力を使うのは最初だけだった。外枠を整えればあとは人々の「自粛」と利権にまつわる強欲によって、この騒ぎは進行拡大していったことは記憶に新しい。妖怪を作り上げ、裸の王様にひれ伏する人々が生まれたのだ。頭のいい人ほどそうだった。われわれ日本人は基本的な事実を自分から確認しようともせず、ただただ政府・マスメディアの言うなりになって、「自主的に、みんなと歩調を合わせて」コロナに怯える民となった。支配者は最初に強制することに主な力を使ったのだ。

 この相互の監視社会、同調圧力がまかりとおる状況は、70数年前の大本営発表を鵜呑みにしていた時とまったく変わらないだろう。「上から」の命令と要請を無批判に信じてしまい、あるいは信じたふりをして、戦争が終わると被害者に一変し、自分は騙されただけだと主張する。しかもアジアの国々に対して数々の犯罪を繰り広げていたわけだが。  


学習性無力感を与えられればOK

まともに考えると、少しでもこんな支配を許せない者たちは、反抗して圧政者の支配を終わらせようとする。しかし反抗者は、自分が隷属していることに気づかない無関心な人々や自ら喜んで支配されている人々の妨害にあうだろう。

 それを何度も繰り返すうちに、反抗すること自体が無意味だと思えてくる。これこそが圧政者の望むところである。人はみんな自発的に従ってくれるようになるからだ。支配のコストはだいぶ軽くなる。

 犬を使ったセリグマンの実験による、学習性無力感という心理学用語がある。自分の行動が結果を伴わないことを何度も経験していくうちに、やがて何をしても無意味だと思うようになっていき、たとえ結果を変えられるような場面でも自分から行動を起こさない状態 羊の放牧場の柵を撤去してもかつての入り口のところから列をなして出入りするというやつだ。


要するに騙される側も悪い

 ある悪事を支配者がたくらむときには、その最初期の段階で彼らの野望と意図に抵抗し食い止めなければならない。進行してからでは遅いのであり、多くの犠牲が伴う。ニーメラーの詩の通りだ。

私たちは自分の外側の悪政・不合理を変えていかなければのと同時に、内面的な注意力を磨いていこう。学習性無力感に陥らず、自発的な隷従に陥らないように常に自分自身を保っていく。これはとても困難なことである。しかし試すことの価値は十分以上にあるだろう。

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