[2024.05.23 }
基礎中の基礎
「最近どうやら,やっと拳(けん)の握り方がわかってきたよ」そうおっしゃったのは大先生だ。私が若いころ通っていた空手道場の師範のそのまた上の師範。某流派の一会派の創始者で当時70代後半だったろう。拳の握り方は空手の基礎中の基礎だけれども、一生のあいだ修行をされてきた大先生のこの言葉には戸惑ったものだった。
ところで、前にすぐれた入門書について書いた。どんな分野でも入門書を書ければ一流だと言われている。確かに基礎的な事柄を真に把握することは難しく、そしてそれを初心者に順を追って説明し理解させることは大変なことだろう。それができるのはまさにその道の名人だ。しかし、これとは少し話の方向がずれるが.....
基礎は大事だが、でも飽きる 基礎練 いやだ
基礎的な練習を積むことはとても大事なことだ。どんな分野でもこれは避けては通れない。そういった基礎訓練の大切さや意義深さは、わかってはいるつもりだ。
ただ私の場合は基礎練がとても面倒になることも多い。もちろんここでいう基礎練とはダンスの基礎練習のことだ。ダンスのように体を動かして行うことは、毎回多少とも多少ともごく最初の段階から体の調整をする必要がある(エクササイズやバーレッスン、基礎ステップなど)。
そのため単純な動作の一つ一つに意味を見出し、毎回有意義なものにしようとメニューや順序を変えたりするのだが、こういう小細工をしても、長い年月の間にはさすがに飽きてくる。飽きるというよりうんざりして、生きているのが嫌になる。メンタル弱すぎるなどという根性論ではとてもやってられない。
かといってそれをないがしろにして、楽しく踊ってばかりいると技と心がたちどころに乱れて浅くなる。
自分なりのシンプルな克服法
だから最近では手っ取り早く次の三つのことを実行している。
1.体調もメンタルも周りの状況もすべて万全の日は、死ぬまでやってこないと思う(→だから今やっても悪くない)
2.きちんとレッスンウエアとシューズで身づくろいし、ルーズな感じを排除する(→形から入る)
3.途中で放棄してもかまわない、とにかく1分でも続けられればいいと覚悟して練習を始めてしまう(→そのうち体がマインドをうまくだましてくれて練習を続けることができることが多い。心理学のなんとか効果だっけ?)
いやいや始めてしまうことで、逆に日頃気づかない新しいことに予期せずハッとすることもある。気乗りしない基礎練の思いがけない副産物だ。
なんだかボヤキのオンパレードになってしまった。が、たぶん生きていくということも似たようなもんで、毎日ハイテンションでなくても、たまには思いがけない気づきがやってくることもあるだろう。
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