[2024.04.26]
ロシア第2の街であるサンクトペテルブルク。その目抜き通りのネフスキープロスペクトからミハイロフスカヤ通りに入ると、ホテル・ヨーロッパという由緒あるホテルがある。
ソビエト連邦が崩壊してから数年たった春の日の午後のことだ。当時短い間だが通っていた大学の授業を終えて、私は日本のスタジオにFaxを送信するため、そのホテルに行こうと地図を見ながら歩いていた。
そしてホテルに通じるミハイロフスカヤ通りに入って、驚いた。ホテル前の通りの両側には人々がずらり立ち並び、粗末なダンボール箱や木箱の上に様々なものを置いて立ち売りしているのだ。まあ、今でいうフリーマ―ケットの立ち売り版だ。
そこで売られているものは、ありとあらゆるものがあった。様々な衣類や食料品、文房具、子犬や子猫まである。なかにはこんなもの買うやつがいるかと思うようなさび付いた水道蛇口、ドアノブ、正体不明で使用目的も推測できないような何かの部品・・・とりあえず思いついたから持ってきて売っているという感じだ。
当時のロシアはインフレがひどく、状況はカオスであり経済は破壊されていた。それでもここに立ち並ぶ多くの売り手たちの表情は総じて明るかった。
苦難のただなかにいる人々の明るさであろうか。しかし中には無念そうな面持ちの見るからに商売慣れしていない、きちんとしたスーツ姿の紳士もいる。
こういった光景は1990年代のロシアの多くの街で見られたことだろう。国家の富を強盗のように奪い取る者たち(オルガルヒ)、アメリカやヨーロッパからロシアを収奪に来る巨大資本、そして国民大衆は飢餓と貧困にあり、乱れる治安。
外国人ながら当時の私は、ロシアはこれからどうなるのかと思った。
そして20数年が経った。アメリカの経済的植民地に陥ったロシアを立て直したことは、なんといってもプーチン大統領の功績であろう。国民の支持は圧倒的であり、3月の選挙での再選は当然である。もし彼がいなかったならば、西側の国が夢見てやまない「分割されたロシア(笑」が実現していたことだろう。
その頃のロシアからすると、現在のロシアは比較にならないほどあらゆる面で強い。日本を含めた西側の報道は、その事実を隠すことに全力を注いでいるけれども。
私は当時学生寮から通学していた。なにからなにまで自分たちとは異質のアメリカ風のシステムが、我が物顔でロシア国内に流入してきていた時だ。人々の苦難の時代。自分たちの築いたシステムが崩れ去っていく。
実際その頃のロシアでは、人々の間にアメリカや西欧にあこがれる風潮も強かったように思う。ところが学生寮の寮生たちの中には「アメリカなんて・・・」という態度の学生たちもいた。私は当時、それ半分は負け惜しみじゃね、と感じたものだった。
しかしながら今日のロシアを見ていると、かつての彼らのようなロシアの若者たちが、実に深くアメリカの脆弱性と薄っぺらさを見抜いていたかに改めて感心する。その深さと射程の長さにだ。
もちろんアメリカは善悪ともに力のある国だったし、個人的には友人であるアメリカ人たち(その多くはなぜか海兵隊員たちだった)は善意ですばらしい男たちであった。が、それでもなお,,,,,,,
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